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ここでは、Mr.Burstのお気に入りチームの一つ、“ジョーダン・グランプリ”を紹介します。 |
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※エディ・ジョーダン氏 : Mr. Jordan, Eddie 〜 ジョーダン・グランプリ代表/創設者 | |||
● F1参戦までのジョーダン氏は… 1948年3月30日アイルランド生まれ。 高校卒業後、歯科医を目指して大学に進学するものの1年後には進路を変更、アイルランド銀行へ入行する。20歳までモータースポーツとは無縁の生活を送る。 その後、従兄弟(国内ラリーの優勝者)の影響を受け、モータースポーツに興味を抱く。 1970年、カートレースにデビュー。72年、アイルランド選手権で優勝。74年、フォーミュラ・フォード1600にステップアップ。 1978年、アイルランド・フォーミュラ・アトランティックのチャンピオンを獲得。同年、イギリスF3選手権に参戦。79年、F2に参戦。同時にマクラーレンのF1マシンをテスト。 1981年、レーシングドライバーとしての限界を感じ、ドライバーを引退。“エディ・ジョーダン・レーシング(E.J.R.)”を設立し、チームマネージメントに専念する。チームはフォーミュラ・フォードに参戦。 1982年、イギリスF3に参戦。83年にはチームのドライバー、マーティン・ブランドルがイギリスF3選手権で2位を獲得。85年、インターナショナルF3000に参戦。87年、チームのドライバー、ジョニー・ハーバートがイギリスF3選手権のチャンピオンを獲得。89年、インターナショナルF3000に3カー体制(マーティン・ドネリー、ジャン・アレジ、リカルド・リデル)で参戦。ジャン・アレジがシリーズチャンピオンを獲得。 1990年、“ジョーダン・グランプリ”を設立。翌年からF1に参戦する。 | |||
● F1参戦後は… 1991年、F1参戦スタート。初年度ながら13ポイントを獲得しコンストラクターズ・ランキング5位を得る。 1992年、期待のワークスエンジン、ヤマハV12を得るものの、シャーシとの相性が悪く成績不振に.....年間1ポイントを得るにとどまる。 1993年、前年度の反省からエンジンを軽量コンパクトなハートV10にスイッチ。しかし、結果に結びつかずランキング10位・3ポイントを得たのみ。ところが翌年、エンジンは前年と同じくハートV10ながら、ドライバー:ルーベンス・バリチェロの活躍により、ランキング5位・28ポイントを獲得。 1995年、資金豊富なプジョーのワークスエンジンを獲得、プジョーV10エンジンで参戦。年間21ポイントを獲得しランキング6位に。翌年、メインスポンサーに“ベンソン&ヘッジズ”を迎え、チームの経済力が向上。年間ランキング5位21ポイントを獲得。97年はドライバーにラルフ・シューマッハとジャンカルロ・フィジケラを迎え、ランキング5位・33ポイントを獲得。 1998年、エンジンを無限V10に変更。ドライバーにデーモン・ヒルを迎え、ベルギーGPでチーム念願の初優勝を果たす。年間ランキングも上昇、4位・34ポイントを獲得。翌年、チームはさらなる飛躍を果たす.....ハインツ-ハラルト・フレンツェンがフランス・イタリアGPで優勝、年間ドライバーズ・ランキング3位を獲得。チームも年間で3位・61ポイントを得る。 さらに2000年、 ついにチャンピオン争いへ突入か!?と思いきや、1歩後退.....コンストラクターズ・ランキング6位・17ポイントに低迷。 巻き返しを図る2001年は、 待望のワークス“ホンダV10”エンジンを得て参戦するものの、残念な結果に終わる。翌年も変わらず。 2003年、エンジンを“吊るし”のコスワースV10に変更。前年いっぱいでスポンサーの「ドイチェ・ポスト(DHL)」がチームから撤退したため、資金不足気味。果たしてジョーダンはF1で生き残れるのか?(.....いや、生き残れるはずだ!) | |||
ジョーダン・グランプリの年間ポイント・ランキング推移 (1991〜2002年) ![]() ※ Points : チーム獲得ポイント Rank : チーム順位 | |||
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